世界1位!イタリアの世界遺産60個を地域別にご紹介・中部編
目次
イタリアは世界で最も世界遺産の多い国です。
その数は年々増え続け、現在では60カ所にものぼっています。
イタリア国内では比較的のどかなイメージのある中部ですが、世界遺産に目を向けてみればローマやフィレンチェ、ピサなどの有名な場所のみならず、トスカーナ地方に広がる邸宅群やローマ帝国時代の遺跡・街道など、その歴史の深さがありありと浮かんできます。
今回はそんなイタリア中部の世界遺産の中でも、見逃せないオススメスポットを厳選してご紹介します。
イタリア旅行に行くけど、あらかじめ世界遺産とかについて知っておきたい方や、少し珍しい世界遺産にも訪れたいという方は、ぜひご覧ください。
一度は見てみたい中部イタリアの世界遺産の特徴とは
引用:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Montepulciano,_Tuscany.jpg
イタリア全土に60カ所ある世界遺産ですが、その半分近くは北部に集中しており、中部にあるのは総数で15個ほどです。
しかし中部イタリアの世界遺産には、他の地域にはない大きな特徴があります。
それは「歴史地区」の多さです。
歴史地区とは個別の建物ではなく、古くからの建物が密集している地区一帯の事を指します。
その都市自体に歴史があり、貴重だということですね。
この歴史地区はイタリアに8カ所あるのですが、なんと中部にはそのうちの7カ所が集中しています。
唯一の例外は、南部のナポリ歴史地区のみ。北部にもベネチアやミラノといった歴史ある都市はありますが、歴史地区という名称の付いた世界遺産は、圧倒的に中部に集中しているのです。
原因としてはローマとフィレンチェというイタリア屈指の大都市の存在が大きいでしょう。
古代ローマ帝国の時代から、この2都市とその間にある交易路の街は、数多の人が訪れて発展を遂げました。
ペストや戦争などで衰退した街も多くありますが、そうした中でもイタリア人は脈絡と受け継がれてきた伝統と歴史を重んじ、今日まで多くの歴史的な建造物が残されることとなったのです。
もちろん歴史地区以外にも、雄大な自然遺産や遺跡の数々も中部イタリアの魅力です。
詳しく見ていきましょう。
ローマ歴史地区 教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂
引用:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Rome_Skyline_%288012016319%29.jpg
イタリアの首都であり、知らない人がいないほど有名な大都市、ローマ。
現在でもイタリアの文化や経済の屋台骨であるのみならず、このエリアそのものが世界遺産として登録されています。
正式名称にある教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂とは、あくまで構成要素の1つです。
1980年に、アウレリアヌスの城壁とテベレ川で囲まれたエリアがローマ歴史地区として登録され、その後1990年代にエリアが拡大。バチカン市国のサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂など様々な資産が追加されました。
有名な円形闘技場のコロッセオも、この世界遺産のうちの1つ。
それ以外にも多数の神殿や凱旋門が残るフォロ・ロマーノや、総面積約11万m²にもおよぶカラカラ浴場、ローマ四大聖堂に数えられるサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂なども、このローマ歴史地区という世界遺産の一部なのです。
日本初のイタリア旅行ツアーでも、ローマはまず間違いなく滞在先に組み込まれています。
今も昔も変わらず、イタリアの今に伝え、そして未来へと受け継いでいく、イタリア屈指の世界遺産の1つです。
フィレンチェ歴史地区
引用:https://www.flickr.com/photos/sky_hlv/8662846251
ローマと並び称されるイタリアの主要都市の1つが、フィレンチェです。
ここもまたローマと同じように、歴史地区として世界遺産に登録されています。
中世にメディチ家の支配のもと金融・毛織物で栄え、またダ・ヴィンチミケランジェロなど多くの芸術家がメディチ家の庇護を求めてフィレンチェに集いました。
街は碁盤の目のように美しく整備され、ルネサンスの発祥の地として、「花の都」という名を頂いています。
フィレンチェのシンボルでもあるドーム状の屋根が特徴的なサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂は、完成までに140年以上かかったゴシック様式建築の傑作です。
モノクロの外観が美しいサンタ・マリア・ノヴェッラ教会は、内部はいくつものステンドクラスや宗教画で彩られ、こちらもまたフィレンチェの象徴となっています。
市内のウフィツィ美術館には、ダ・ヴィンチの「受胎告知」やボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」など、世界有数の名画がいくつも展示され、ヨーロッパ最古の美術館の1つとして数えられています。
ここもまたローマと同じく、日本からのツアーで訪れるのなら立ち寄る可能性の高い観光地です。
小高い丘の上にあるミケランジェロ広場からはフィレンチェの街を一望することができますので、ぜひ中世から続くフィレンチェの街並みを堪能してください。
サン・ジミニャーノ歴史地区
引用:https://www.flickr.com/photos/antoncino/13402323774
イタリアに訪れた時に多くの人が印象深く感じる、白とオレンジの石造りの街並みがお好きでしたら、サン・ジミニャーノ歴史地区はぜひ訪れたいスポットです。
「美しき塔の街」と呼ばれるこの街には、中世12世紀から14世紀ごろの建築物が数多く残り、当時の生活や建築様式を知ることができる貴重な地区として、1990年に世界遺産に登録されました。
首都ローマとフィレンチェ・ピサをつなぐ街道の合流地点として繁栄し、町の名前の由来でもある聖ジミニャーノの聖堂に訪れる巡礼者などで賑わいました。
この地名産のサフランによって発展を遂げ、多くの裕福な貴族が生まれ、この地に住んでいたのですが、貴族らは派閥争いのために高い塔を建設し始めました。
頂点に見張りを配置し、敵が訪れた際には上から石や熱湯を投げかけて攻撃したと言われています。
次第に塔は防衛のためだけではなく、貴族の富と権威を示すためのものとなっていき、有力な貴族は塔の高さを競い合うようになりました。
最盛期にはサン・ジミニャーノの街には72本もの塔が乱立したんだとか。
しかし14世紀にはそうした内紛によって街は疲弊し、ペストの大流行が追い打ちとなって、サン・ジミニャーノは衰退していきます。
運営はフィレンチェ共和国に組み込まれ、いくつかの塔は解体されてしまいました。
ですが皮肉なことにも、ほかの中世の街々が再開発によって生まれ変わったのに対し、サン・ジミニャーノはあまりにも寂れきってしまったために、再開発のうまみがないとして放置されました。
そのため中世の街並みはそのまま、現代にその姿を残すことになったのです。
街のシンボルでもある塔は現在14本が残され、当時の威容を今に伝えています。
サン・ジミニャーノ中央にあるグロッサの塔は1311年、塔の建造がもっとも激化していたころに街の当局が、「安全性の担保のためにもこれより高い塔を造ってはいけない」として建てられたという逸話があります。
その高さは54m。そして唯一、内部に入って登頂することのできる塔でもあります。
エレベーターはないので階段で登りきる必要がありますが、頂上からのトスカーナの田園風景は圧巻です。
市内にはほかにも考古学博物館やサンタフィーナ薬草博物館、現代美術館やサン・ロレンツォ・イン・ポンテ宮などがあり、どれもグロッサの塔との共通チケットで入ることができます。
値段は9€で、2日間有効です。
また別料金にはなりますが、ドゥオモ(聖堂)も見逃せないポイントです。
外見は少々地味に見えますが、中に入ると壁や天井の全面にフレスコ画が描かれ、その迫力に圧倒されることでしょう。
1300年代の作品なのですが、このドゥオモに窓がほとんどなく日光が差し込まないため、保存状態がとても良いまま、一度も修復されずに残されています。
右の壁面は旧約聖書、左は新約聖書がモチーフになっています。
ピエンツァ市街の歴史地区
引用:https://www.flickr.com/photos/ckgolfsolutions/15484926706
フィレンチェやピサといった大都市が世界遺産に登録される中で、ピエンツァは人口わずか2000人ほどの小さな村です。
30分もあればぐるりと見て回れるような村がなぜ世界遺産に登録されたかというと、1458年にピウス2世がローマ法王に就任したため。
彼はピエンツァ出身で、自分の故郷を発展させるべく改革に乗り出します。
村にはルネサンス様式の建造物がいくつも立てられましたが、そのどれもが人間と自然の調和を考えた、静謐で上品なものです。
残念ながら街の前にピウス2世はこの世を去ってしまい、工事計画は中断され未完成となってしまいましたが、それでも当時の雰囲気や建築様式をそのまま残したピエンツァは歴史的価値の高さから、1996年に世界遺産に登録されました。
代表的建造物のピエンツァ大聖堂は、外観はルネッサンス様式ですが内部はゴシック様式、天井はドイツのハレンチルヒエン様式と、様々な技法が組み合されつつもシンプルな作りです。
ピエンツァ中心部にはこの村の発展に貢献したピウス2世の名を冠した広場があり、中世の雰囲気が色濃く残っています。
ローマの賑やかさやフィレンチェの華やかさとはまた違う、ピエンツァの穏やかな空気は知る人ぞ知るイタリアの側面の一つ。
一度訪れれば、その静かな魅力に心奪われることでしょう。
ピサのドゥオモ広場
引用:https://www.flickr.com/photos/magicketchup/5011402321
イタリアの名所と言えば数限りなくありますが、ピサの斜塔と聞けば知らない人はいないでしょう。
斜めに傾いたこの鐘楼があるのは、ピサというイタリアの港町です。
ローマ帝国時代は軍港として栄え、西地中海の海運都市国家として13世紀ごろまで覇権を握っていました。
ピサの斜塔は本来は100mを超える大鐘楼として建設されるはずでしたが、地盤に付近を流れるアルノ川の砂が混じっていたために、約半分ほどまで造った時点で傾き始め、それ以上の工事を中断してしまったそうです。
その後現代まで何度も修復作業は行われていますが、この傾きを直すのは今の技術でも難しいらしく、傾いたままとなっています。
隣にあるピサ大聖堂は、真っ白な外観が美しいロマネスク建築の傑作として、トスカーナ地方の聖堂建築のモデルにもなったほどです。
洗礼堂や墓所と併せて、その美しさからピサのドゥオモ広場は「奇跡の広場」と呼ばれ、1987年に世界遺産に登録されました。
斜塔以外にも見どころの多いピサのドゥオモ広場は、イタリア旅行の要の1つとして多くの観光客でにぎわっています。
オルチア渓谷
引用:https://www.flickr.com/photos/pinomoscato/5740279673
素朴で美味しい食事とのどかな風景から、ヨーロッパで最も美しい田舎と呼ばれることもあるトスカーナ地方ですが、その美しさを裏付けるのがオルチア渓谷です。
正式にはヴァルドルチャと呼ばれるこのエリアは、もともとはあまり作物の育たない貧しい土地でした。
都市国家シエナの領地となった14世紀以降、この地に住む人々が地道に土壌改良を重ね、次第に今のようなブドウや小麦、糸杉が特徴的な田園風景が見られるようになっていったとされています。
その美しさはシエナ派と呼ばれる芸術家集団など多くのアーティストにも愛され、ルネサンス期には数多くの風景画が描かれました。
現代でもその美しさに変わりはなく、2004年には世界文化遺産として正式に登録されています。
観光の際には特定の場所を見るというよりは、この地域の道をひたすらにドライブするといった楽しみ方がオススメです。
同じく世界遺産のピエンツァ市街の歴史地区に訪れるのもいいでしょう。
どこまでも続くなだらかな丘と街道、それに沿って風に揺れる糸杉や小麦畑の情景は、すべての人の心に響く、自然と人の営みの結晶です。
アッピア街道
引用:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Roma,_Via_Appia_Antica_%2810%29.jpg
イタリア60番目の世界遺産が、このアッピア街道です。
「すべての道はローマに通ず」とも呼ばれたイタリアの街道の中で、最も重要視されたアッピア街道の起源は、ローマ帝国時代の紀元前312年までさかのぼります。
当時の首都であったフォロ・ロマーノと古代都市カープアを結ぶ街道が造られたのですが、その後ローマ帝国の領土拡大に伴って街道も増築され、最終的には約540㎞となり、イタリア南部への主要道路として長く利用されました。
両脇には馬車を走らせるための轍の溝が残り、中世ローマの暮らしぶりを今に伝えます。
ローマ帝国崩壊後はアッピア街道も利用されなくなっていきましたが、現代ではかつての街道を発掘し、敷石などを保存したうえでトラッキングロードとして再利用されています。
すべての道を歩こうと思うと14日ほどかかってしまいますが、アッピア街道州立公園に訪れれば、街道沿いの有名なスポットも併せて見ることができます。
距離も約5㎞で、のんびり歩いて1時間か2時間ほど。特に見ておきたいのはドミネ・クオ・ヴァディス教会です。
ここはアッピア街道沿いの小さな教会なのですが、ローマの歴史やキリスト教において非常に重要な場所として、ヨハネ・パウロ2世教皇にも言及されたことのある場所です。
名前は日本語に訳すと、「主よ、どこに行かれるのですか?」という意味です。
これを言ったのはイエスの一番弟子でもある聖ペトロで、彼はイエス亡き後にローマの迫害を恐れて遠くの地へ旅立とうとしていました。
しかし彼がローマから離れるためにアッピア街道を歩いていると、なんと路上ですでに死んだはずの師、イエスに出会います。
思わず「どこに行かれるのですか?」と聞いたペトロに、イエスは「ローマへ再び十字架に架かりに行く」と答えました。
それを聞いたペトロは再びローマにもどり、信仰に殉じたとされています。
教会内にはイエスの足跡のレリーフなどが展示されており、小さいながらも見ごたえのある観光スポットです。教会なので服装には注意が必要ですが、入場料などはかかりません。
アッピア街道沿いには他にも、かつての貴族の墓や邸宅の遺構が数多く残されています。
全体として人通りは少なく、静かな街道には糸杉やカサマツが植えられ、のんびりと歩きながら遺跡を探索するには最適な場所です。
他の世界遺産とは一味違う、特別な体験を求める人は訪れる価値があるかもしれません。
中部イタリアの見逃せない世界遺産のまとめ
今回はイタリアの中部にある世界遺産についてご紹介しました。
イタリアの中でも中世の頃に最も栄え、発展したのが中部ですが、現在ではその面影を残しつつも、古い時代を感じさせる街並みと、オルチア渓谷などの自然が共存する素晴らしい情景が広がっています。
今回紹介しきれなかった世界遺産もまだまだ数多く残っており、ウルビーノ歴史地区やサンマリノ歴史地区とティターノ山、聖フランチェスコ聖堂と関連遺跡群などの魅力的なスポットばかりです。
はじめてイタリアに旅行に来る人にも、何度か訪れて今までと違うイタリアを見てみたい人にもおすすめできるのが、中部イタリアの懐の深さです。
ぜひ何度もこの土地に訪れ、今までにない新しい体験をしてみて下さいね。